「みんなのカフェ」でご一緒した方がいたら嬉しいな。 50代以上、友達ゼロ、日ごろの想いをつぶやきませんか。
友人は、同じ立場、同等の存在。 崇拝する相手じゃないと、忘れないで欲しいだけです。
それを忘れると、相手によっては、危険な存在になります。
崇拝って、卑弥呼みたいな…。 カルト宗教を連想します。
先生や上司や先輩とかは「敬愛」 友人は「親愛」 家族には「仁愛」 だと思っています。
敬愛にふさわしい人には、中々出会わないかな? 先輩、後輩というのも、受け入れ難いです。中学の部活辺りから、先輩後輩と言い始めますが、尊敬できない歳上を、先輩と呼ぶ必要はないと、思って大人になりました。
崇拝していたのは、宗教の先輩です。 月に一回、ご自宅で集まりがあってその場で私の話を皆さんに披露されました。 もう、行ってません。
信教の自由が、認められている日本です。何を信じても、その人の自由です。 昔、子育てに悩んだ時、宗教に傾きそうになりました。「自分の頭で考えないで、どうするの?」と、他のこどもに言われ、我に返りました。
悩んでる時って、何かにすがりたくなりますよね。依存しすぎてました。 神仏の存在は信じますが、宗教の組織に疑問を感じる時があります。 何かあったらすぐに相談しないと怒られるし、支部長の言うことが何でも正しいと思っている人たちがいて支部長の取り巻きとして崇拝されてます。
悩んでいるときは、親身に話を聴いてくれる人にすがりたくなります。 辛い状況にいると、誰かを崇めたくなる気持ちもわかります。 冷静な判断ができなくなりますよね。 ご家族や他の誰かが気づいて引き戻してもらえたり、ご自分で目が覚めたのならよかったです。
手術のため入院し、退院して家に10日程居たときがありました。休職中のことです。 インターフォンがなり玄関をあけました。 (ドアチェーンとかモニターのない昔の家) ふたり組。あ~、これは…と一瞬で理解しました。 「お時間よろしいですか?(たぶんこんな感じだったかと思います。)」と来たので 「あ~。すみません~。」と愛想よく、戸を閉めました。
うわ~これ、引っ掛かる人は引っ掛かるんだろうなと思ったと同時に、もう早く仕事に行こう!と思いました。
宗教の勧誘?近所でも、入れ替わり立ち替わり、勧誘に歩いてましたが、門前払いのお宅ばかりで、中々大変そうでした。 私は、電車の中で、声をかけられ、話し易い雰囲気の初老のご婦人でした。誰かにすがりたいほど、辛い時期だったので、話を聴いて貰えた気持ち良さに、つい、足を踏み外しそうになりました。