みんなで嬉しかったことと、嫌だったことなんでも話し合おう。 自慢でも良い。一日の一言日記みたいに使って良い。 ここでは何を話しても書いてもいいよ♪
早起きして涼しいので、昨日は、換気扇の掃除(最大級の汚れでした)今朝は、冷蔵庫の掃除に習字の練習。◯段になったらやっと少し上手くなったなと思えるようになりました。
昨晩は2度起きてしまった。 一度目はすんなり寝られたのに、二度目は覚醒してしまい、眠剤飲みました。 まだ睡いけど起きてしまいました。
高校進学とともに不登校になってしまった娘に会ってきました。 これまで親子共々辛かったですが、少し前に光が見えてきて、言葉数が増えて笑う顔を見ることが出来て良かったです。 そもそもの発端はコロナ禍初年度の高1。 夏休み前から不登校になりました。学校に行けない状況とのことです。 親としては理解が追い付かないですが、当人が苦しんでいることは、なんとなく分かります。何度も話をして、退学ではなく在学できるかもしれない通信制高校に転校という妥協点をなんとか見出しました。
でも転校して馴染めるはずもなく、形だけのオンライン授業に出るのが精いっぱい。登校日もあり、学校へ行くことに苦しみました。一般的な高校生なら当たり前のことができないことに、当人が最も苦しんでました。心療内科に通ってみることを進めるくらいしかできませんでしたが、頼みの心療内科も今一つ頼りなく、苦しい時間だけが経過していきました。 後で聞いたら、この頃から自死願望が芽生えたとのこと。
状況改善せず、高2で別の通信制高校に再転校。 転校しても問題解決しないことは、当人も親もわかっていました。
娘にとってはホントに苦しかったと思います。公的機関の支援を調べて、お金はかかっても少しでも状況改善しそうなことはチャレンジしました。親子共々悩みながらなんとか生きる気力を保ってもらい、なんとか高校卒業だけはなんとか達成しました。よく頑張ったと思います。
卒業後、高校(3校目)のツテで専門学校へ進学。学生をしながら状況改善を模索することにしましたが、5月の途中から再び不登校に。 多くの人と接することができない状況になってました。
この頃、公的機関の方から障碍者認定(メンタル障がい)を受けるべきでは?との話をもらい、心療内科に診断書をお願いしたら、あっさり書いてくれて障碍者認定されました。 その後、いろいろ話し合いの上で、障碍者グループホームに居住し、相談員と話をしながら、障碍者自立支援組織(公的な組織)で社会復帰を目指すことにしました。
ところが、活動を続けるうちに状況がどんどん悪化してきて、だんだんと絶望的な状況になってきました(自死願望が強くなったそうです)。
そんな中、娘自身が、自分のような状況の人を社会復帰させる活動をしている民間組織(遠方です)があることをスマホで調べてきて、その民間組織だけが唯一の希望になってました。 民間組織なので、それなりに費用はかかります。 遠方ですし、(Zoomで)詳しく話を聞いてから決めることにしていたのですが、娘は自死願望との瀬戸際でギリギリだったらしく、(打合せの前日に)自分で連絡を取って、その民間組織に自力で訪問してました。
仕方ないので、打合せ当日は親も現地に行くことにして、詳しい話も対面で確認し、娘を預けることにしました。これが4か月前の出来事です。
そして、昨日、某企業の派遣職員となって2か月目の娘に会ってきました。 すごく生き生きしたいい顔になってました。 LINEでそこそこ連絡を取ってましたが、これまでにあった出来事や、助けてくれた人の話など、いろいろ話をしてくれました。
数か月前は会話するとき、言葉に詰まることが多かったのですが、スラスラ話ができる状態になってました。いろいろ辛いことがありましたが、4か月前、結局は娘が自分で自分の生きる道を見つけて、自ら切り開いた道を進んでくれて良かったです。 夫婦共々良かったって思いました。
思うところが多くあったので、長々書かせて頂きました。長文失礼しました。
良かったですね。娘さん苦しいのにご自分で選択実行され感心しました。今は、公的な自立支援や就労移行支援事業所等があり長い時間のブランク引きこもりや精神疾患の方の社会参加リスタートが進んでいます。パソコン練習、リモートの企業説明会、履歴書の書き方、面接の指導、軽い運動、障害者枠の就職、就職後のケアと至れり尽くせりが障害などが認められれば受けられます。今がチャンスかも知れません。希望は、いつも持っているのが勝ちだと思います。